∞tipi∞ 自分に還る旅。暮らしとスピリチュアル。

体感型&非体験型のシークレットサロン/fukuoka

sessionが可能な日。

現在、sessionは不定期で

行える日に行ってます。


その日によって時間帯もバラバラ。


わたしも暮らしを大切にしている。


その傍らでさせていただいてますので


もし

sessionご希望される方は

可能な日時をいくつかあげて

お申込みくださいますよう

よろしくお願い致します。



もし

お時間が合わなかったら

いまの時期ではないのかもしれません。



それも全部采配だと思うのです。


タイミング。



スルッと

そのご希望の時間帯だけ空いてたり


逆に

ことごとく予定が合わなかったり



そういうことは

よくあります。



おもしろいなぁーと思います。




"無理をしない生きかた"をモットーとしてますので


お互い、無理がないように。



ゆるりとやっていきましょう。




対面以外でも

遠隔メニューもございます。



もしよかったら

そちらも検討されてください。






なにをしてるのでしょうか?って?!




んー。

わたしに出来るあたりまえのことをしています。



そのひと本来の輝きを引き出し

生きやすくなるためのお手伝い。



それらをミエナイチカラでサポートさせていただいてます。




そのためには

いろんな角度から、

出来るときに出来るだけのことを。



時期、と

容量だと思います。



あ!!

と思ったときがそのときだと思います。



そんなときに

わたしがあらわれたり

ちょっと思い出されたり。


そんなときに

ご活用ください。



お互い、楽に生きれるように

高めあっていきましょう。



まだまだ

これからだと思います。



もっと自分の生きかたに

興味を持って取り組みましょう。




これからの暮らしを整える。




それがわたしたちの最大の注目ポイントです。




もっとご自身の生きかたにコミットされてください。




入りかたはどこからでもいいと思うのです。


ただちょっと気になって、とか

そこから広がることもあります。



なにか気になることから

広がっていくこともあります。



どこからでもサインはやってきます。



それらを無視されないでください。



あなたの魂の声を拾い上げてください。



普段わかりづらいときは

それをお届けすることもしています。



いろんな声を届けています。








必要なときに必要な分だけ注がれますよ。





sessionご希望の方は

お名前

ご住所

お電話番号

ご希望の日時をいくつか


記入の上

kurashitrip@gmail.com


まで

ご連絡ください。




折り返し

連絡致します。



住所は福岡市中央区薬院です。


ご予約確定後、

詳しい住所をお伝えします。




Chiaki





なにもしなくても愛されてるよ。

なんも出来ないからなんでも出来ると思うし

誰でもないから誰にでもなれるんだと思うし

あんまり、自分を決めなくていいと思う。


そのままで充分、愛されてるんだと思う。


それが知れて、いまはとっても嬉しい。




数年前、「わたしについてもっと知りたい!!」

ってどんどん探究していったんだけど、

やり過ぎた結果、

何者でもないことに気付いた。


愕然とした。


空っぽだった。笑



空っぽな結果、たくさんのものにいろんなものを注げることが出来る。


空っぽなほど、ね。


パイプ役。


わたしは何者にもなれてなかったから

その役目を誰かに託した。


身体を貸した。


だから誰だっていい。


それより、わたしを通してなにを与えれたか、になる。



別になにかをしてるわけではない。



そのままでいるだけ。



真っさらになって自分にできるものを届けてるだけ。




空っぽは無限大にさえなる。





わたしは、プライベートではなにも出来ていません。


自分に甘々です。



食べて、寝て、空想。



なにもありません。



それでいいと思っています。



それをしないと、多分、ひとに与えることが出来ないんだと思います。



ひねくれます。




自分で自分を甘やかし、満たして、褒めて、また寝る。



自分のご機嫌は自分でとる。



会いたいひとに、会いにいかせる。


やりたいことはやらせる。



好きなことを話させる。




そんな風なことを日々やっています。



自分のペースは守っていきたい。



それがわたしのいちばんです。





別に、なにもなくていいと思う。



ノンデュアリティのこと言って

スピリチュアルなことして

会社勤めしてるけれど



どれがすごいとか

どれが上とか

ないんだと思う。

多分。



全部あっていいし

"なにかは間違い"ってことはないし

いいとこ取り。

全部、いい。


選択肢を増やせたっていうことがギフトかな。





結局はなにもないんだけど、

でもあってもいいんだと思う。

そのへんも自由でいいんじゃないかな。



あってもなくてもどっちでもいい。



使えるものを生きやすいように使いやすいように使えばいいんだと思う。




全部使えばいいと思う。




なにもないけれど、それは寂しいからなにかをくっつけてるし、


もっと探究することも出来るけれど

そうしたら誰とも話が合わなくなる。


聞きたいところを聞けばいいし、

必要そうな言葉を届ければいいし、

そのときそのときで変換していったらいいと思う。


でも自分の純度は上げていきたい。


好きなものは好きって言いたいし、

やりたくないことはやりたくないし、

もっと自分に正直に生きていいんだと思う。



自分の世界は大切。

その世界に色づけしていくための作業。

真っ白の世界に

自分が好きなカラーで

好きなもので

好き勝手に着飾るってことをしたかったんだと思う。


そのためにゼロにしたんじゃないかな。




好きなものに囲まれたいし

好きなものを纏っていたい。



そこに触れるひとを大切にしたい。




それしか、ない。



あとはどうにかなるんだと思う。



自分をいちばんに愛でていきたい。



ご機嫌にしたい。




あとはわたしを大切にしたい。



それがわたしの願いです。

無能は無敵で有能。

わたしは、わたしにしか出来ないことをやってます。



スピリチュアル系?

をやってますが


教科書的なことはなにも分かりません。


手相は、なにひとつ分からないから

ハンドリーディングになった。


タロットは並べ方も分からない。


星読みも憧れるけど出来ない。


数秘術も分からない。


マヤ暦も分からない。





覚えれない。。。


あはは!



憧れはあったけど全部諦めた!!



他の人がすごいと思います。


なにも出来ません。



スピリチュアルの専門家ではないんだと思います。




よく分からないんだもの。



無理なんだもの。




教科書的なことは分からないし、


複数人数でなにかを学ぶことが苦手。


閉塞されることが苦手。


決められた日にち、決められた時間に定期的に通うことも苦手。



決まりきまったことが出来ません。。。



残念なひとです。笑




みんなすごいなーって思います。



なにも覚えれないわたしは

全部オリジナルです。


オリジナル技法。





なんかよく分からないけど、出来たり、

なんか知らんけど、分かったり、

なんかよく分からないけど、勝手に口が喋ってたり

それを組み立てたり差し引いたり掛け合わせたり

やったりやらなかったり。



最初から自信があったわけではありません。



もともと自己評価は低いので

なにかの間違いだ、と思ったりしました。


けど、

それはおきゃくさまの反応を見てたら違いました。



でも疑い深いわたしは

簡単には信じませんでした。



あと、

わたしにでも出来るくらいだから

他のひとにも出来ると思ってました。


逆に「これしか出来なくてごめんなさい」と思ってました。



それはつい最近まで。



もうしわけなくて、もうしわけなくて。


多分、自分の存在全てが!!だったじゃないかな。



いる意味が分からないんだもの。


多分、意味が分からないものが受け入れられなかったんじゃなかったかな。


でも、

ほんとは意味すらないらしいですね。


全部無味無臭。


ただ在る。


意味づけが大好きなわたしたちが勝手にやって、

納得して

安心したりしている。



関連付けてるだけ。

なにも関係ないのに。



それを言ったら元も子もないけれど、

ほんと、

なにもないから

まぁ、仕方がない。



そういうことすら忘れます。





なにかをストックするなんて無理です。



そんな、詰め込みすぎたら発狂します。


動けなくなります。


いつも身軽にしときたい。




そんなことを常に考えてるわたしは

世間一般から外れています。



多分、無能なんだと思う。


ポンコツーー。



だれもそこを目指さないと思う。


そこに居たくないんじゃないかな、普通は。




いつのまにか敵はいない常態です。



負ける相手がいないんじゃなくて、

戦う相手がいない無敵。



なにもストックは無い。持てない。

誰も戦うひとはいない。

なにもない。


有能じゃないかな?と錯覚を起こしてしまう。



なんでも出来るんじゃないやろーか、と。



禁止してるひとはいないしね。

阻止するひともいないしね。

見張るひともいないしね。


この世界は自分だけのもので周りに敵はいなかったら


それをやってるのは自分くらいで。


遠慮も、ただ自分にやってるんじゃないかな?



誰も周りにいなかったら、なにをする?


人目を気にするから出来ないんだよね?


恥ずかしいんだよね?


ビクビクしてるんだよね?



じゃあ、誰も居なかったら?



自由にいろんなこと出来るよ?


なにする?


なにしたい?



わたしはわたしにしか出来ない技法をやるかなっ。



みんなが生きやすくなるようなやつとか


身体をヒーリングするとか。


相談室やるとか。


出来るやつを全部やる。



突き抜けてるひとが有能じゃないかな。



わたしはまだちょっと恥じらいがあります♡





そういうことをしなくても、

気づかないうちにわたしはいろいろやってるそうです。


今日職場で「ノナカが来て、自分たちの考えが変わったよねーって話してたよ」

と言われました。



そんな、考え方が変わるってなにをしたっけ?


よく分かりません。



結局、

わたしはなんも分かってないような気がします。




それを職場で言ったら、

「全部分かってるんやろー?」

と言われます。





あははーー♡って誤魔化して逃げます。




紋白蝶みたいに

ふわふわどこかに飛んでいきたい気分です。




お花畑具合も、もっと肯定できたらなと

思います。

聞くこととやりたいこと。

わたしは、"聞くこと"があまり好きではありません。


訊ねること、というのでしょうか。


得意ではありません。



多分、

人に聞く前に自分で考えるように教えられてきたからだと思います。


まず、

考える。


まず、

調べる。



ありがたいことに、いまは調べるツールはたくさんあります。


いまは恵まれているな、と思います。


調べてみて、どうしても分からなかったら聞く。


それが

わたしの中の当たり前です。





なので、

調べもせず

感じも考えもせず

ただ聞く人にイラっとしてました。



調べる手段はいくらでもあるのに

どうしてそれを飛ばして聞いてくるんだろう?と。


まず、考えろよ、と。




それは自分の意見を押し通していることなんですよね。



他の人にとっては

分からないことがあったらまず聞く、

が当たり前なのかもしれないのに。



わたしはそれが出来ないから

ずるいな、って思ってました。







えとね。

やっぱり、ずっと考えてるけれど、

分からないことがひとつ。ふたつ。みっつ。




えーっと。

わたしって誰なんだろう?


目の前のことをやってるんだけど、

相手の思うわたしをやってるんだけど、

誰でしょう?


ちあきって誰なんだろう。。。


誰かの前ではちあきをやるんだけど、

ちあきは本当に実在するんだろうか?




申し訳ないけど、過去のものがなにもない。

破壊と再生を繰り返しているうちになくなった。




誰か、わたしを認識してわたしを見てくれないと

ちあきは存在してないと同類です。


だから、あなたがわたしを創ってくれてる。



貴方がいないと、わたしはいない。



誰でもない、なにか、になっている。



わたしは、あなたで出来ている。




観察者がいないと、わたしがいることを証明できない。




だから、いつもみつけてもらった人には出来る限りのことをしたいな、と思っている。


感謝、感謝。


なにが出来るかは

そのひとによってバラバラで

その時期によっても違うし

だから答えはひとつではないんだけど、

そのひとに必要なことを必要なだけ、与えることが出来たらな♡

いつも思う。


「ありがとう」って。



みつけてくれた貴方がいるから

わたしも存在出来てるんだと思う。



ここにいることを感じることが出来るんだと思う。





もっというと

わたしは貴方なんだと思う。




こころのどこかにひっそりと隠れている、

本当のあなた。








あなたはなにをしたいですか?




周りの世界に紛れているひとは

「いまは楽しくない。なんかいいことないかなー?」

ってよく言うけど

別に、いま、なにもないけど楽しいんだけどな。

それだけじゃダメなのかな。



いましかない。

よくも悪くも過ぎ去ったことはもうない。




その先にもなにもない。

けれど、

自分次第で全部ある。無数に。

創ることができるし掴み取ることができる。


その世界は時間枠がないからあれなんだけど、

でも取るって決めた時点でそれは組み込まれる。



その掴み取るのは自分だけの選択肢。

掴み取り競争とかではない。


敵はいない。


争いはないの。



見張らなくていいの。



他の人は取ることが出来ないから。








それが

ノンデュアリティで言われている

【なにもないけど全部ある】じゃないかな。




なんもないけど

全部ある。




『頑張りたい』があるひとは頑張れるなにかを取ればいいし

『苦しみ』があるひとは苦しめるものを取れる。

『哀しみ』があるひと泣けるものを取れるし

『怒り』があるひとは怒れるものを取れる。


楽しみたいひとは楽しめるものを取れるし

ワクワクしたいひとはワクワクするものを取れる。


楽しめる許可が自分の中にあるかどうか。

楽して生きれる許可が自分の中にあるかどうか。


まずは

自分で確認してみて?




わたしはなにを取ろうか

迷っている。


いまはそこかな。




もう歓びがあるひとにしかフォーカスしたくない。



自分の生き方の目処が立っているひとにフォーカスしたい。



これまで自分に向き合ってきてくれたひとが好き。





「結局、自分にはなにも出来ないし、なにもないし」

と言ってるひとは

これまで

周りに合わせてばっかりで

自分のやりたいことを無視してきたひと。




それぞれの中の"わたし"を無視してきたひとは

もうゴメン。



この身体のちあきもさ、

数年前に「自分にしか出来ないことを仕事にしたい」と思って

なにがあるかな?って自分に向き合ったからいまがある。



あれよこれよと

こんなところに来てしまったんだけど、笑



あの立ち止まった時期がなかったら

いまもなにも気付かず

その他大勢に囲まれたその辺のナースのままだったんだよね。


それはそれでよかったのかもしれない。


けれど、それはやろうと思えば誰でも出来る。



周りの話題は

ドラマの内容や

他の誰かの悪口とか文句とか

そんなんばかり。




うーーん。




わたしはわたしにしか出来ないことをしたかった。




【わたしは好きなことを仕事にするひとのために生きたい。】



いつの間にか、

そう考えるようになった。




幸い、わたしに会いに来てくれるひとは

スピの世界で生きようとしているひと、

指導者とか

先駆者になり得るひと、

あとスピではなくても

なにかしら強みを持ってそれを仕事にしようとされてる方、してる方、

昔から"少数派"と言われてきた、才能やカリスマ性がある方、

などが多い。



これまで、居場所がなかったひと。

なぜか浮いてたひと。

ひとと同じことが出来ないひと。

なぜか目立っちゃうひと。

生き辛かったひと。


そういう人たちが生きやすい世の中をつくっていきたい。




そういう人たちがどんどん才能を発揮出来たら、と思う。



そうしたら、どんな世界になるんだろうと

ワクワクしてくる。



特にわたしたちは

誰でも出来ることをやるためにここに来たわけではない。



みんなと一緒のことをやりに来たわけではない。



特化したものを存分活かしたい。




場所は関係ない。


どこでもいい。



それより

自分の在り方。





みんなそれぞれ違った分野でお互いを刺激しあい高め合って

そして

互いに補いあって助けあって

地球を上昇させるためにここにやって来たんだ。




同じひとはふたりもいらない。



それぞれ出来ることがあるから素晴らしい。



みんな違ってみんないいんだと思う。




それがいつの間にか『みんな一緒にしなさい』と歪められたんだと思う。




だからわたしたちはおかしくなったんだと思う。




みんなと同じことが出来ないのは

そういうことなんだと思う。



周りに合わせて行動する無駄なエネルギーを

自分の好きなことに廻したらもっとスムーズにことが進むんだと思う。




もっと、もっと、

それぞれの本来の姿を思い出し、

輝く姿で

もっと自分の道を切り開いていっていただけたらなーって思う。



そういう意味で、

本当の自分に還ること、

それを目的としています。



別にスピに特化することではありません。


カタチはいろいろあると思います。



自分のやりかた、があるんだと思います。




自分にしか出来ないこと。

自分だから出来ること。

自分にしか出せないもの。



それをもっと出していきませんか?




ホンモノはホンモノに惹かれていきます。


同類だ!!って波長で分かります。



気付いてもらえます。


だから出していきませんか?



お手伝いいたします。




相手に自分を見つけたらまた輝き、

そしてお互いを尊重しようとします。



もっとそこで輝いて!

そしてもっと羽ばたいて!!

みんなにその姿を見せて!!



ただ、ただ、好きだから。


好きなものを好きって言ってくれるひとと

また

繋がり合いたい。



そうして輪が出来るんじゃないでしょうか。




心地よいもので囲まれるんじゃないでしょうか。




独特な感性を持ってるひとたちを

わたしはもっと引き出して欲しいな♡と思います。



多分、これまで辛かったこともあるだろうけど

それを潰さないでくれてありがとう、と伝えたいです。


逃げないでここまで来てくれてありがとう♡


わたしはそれを伝えて、

もっともっと羽ばたいていくことを勧めていきます。



実際、それがめっちゃ楽しいです。


それが、わたしが輝くいちばんの方法です。




今日も読んでくださり、そして気付かせてくださり、本当にありがとうございます。


ひとが好き?

わたしは、ひとが好きではありません。


自分も、ひと、なのにね。笑


魂の記憶かな。




ひとを恨んでいます。


裏切られて悔しい、と

いつもどこかで思ってました。


『人間は、裏切るものだ。』


『わたしは人間に受け入れられないんだ。』


『わたしは人間とは違うんだ。』




絶望したんでしょうね。





自分を人間だということを忘れたままのときもあります。




人まねばかりで動いてきました。


人の言う通りしてたら間違いではないと思ってました。


人としての自信はあまりありません。



アホみたいですが、

「わたし、人間ですか?」

「わたし、人間、きちんとやれてますか?」

聞きたくなるときがあります。



職場の先輩に聞いたこともあります。


人間、と答えをいただきました。


衝撃でした。


「あ!やれてたんだ!!」笑






安心しました。





きっと、人間に執着しすぎなんだと思います。



ひとが好き、なんでしょうね。


好き過ぎて、仲間になりたかったんだけど


人間ではないところがあって

雑?都合のいいように使われた記憶があったような気がします。


そのときの傷が深く深く残ってます。



次こそは、

次こそは、

人間らしく生きてきました。



人間に期待し過ぎてたのだと思います。




期待し過ぎると、裏切られ感が出てきます。


期待、は執着になります。



未来に期待し過ぎると、

今の自分とのギャップにへこむことがあります。



今に、欠乏感を与えてしまいます。



期待をしたらいけない、ということではありません。



淡々と、「そうなって当たり前じゃない?!

普通だし。なにか?!」くらいのスタンスでいればいいと思います。



「自分の中では

当たり前のストーリーだよ」って。



知っても、忘れたらいいと思います。




忘れてもいいんだと思います。


そこには辿り着くんだから。



執着を手放す、ということはそういうことなんだと思います。








わたしと会ったことがないひとが

セッションを申し込みをしてくださるとき、


「楽しみにしています」

「緊張します」

「ドキドキします」


と言ってくださることがあります。



ありがとうございます。


ですが

ふつーー、の人です。笑


なんちゃないです。




上でもないし下でもないし

一緒。


同じところにいるよ、

同じこと考えてるよ、って。




わたしにピンとくるひとは

結構稀で、

それだけで凄いと思っています。


それはわたしが凄いっていうわけではなく、


そうらしい、ってだけです。



これまで、

何人かのひとが


「自分もその段階にきたんだな、と嬉しくなった」と

おっしゃってたことがあるからです。



それがその方の答えなのだから

そうなんだと思います。


わたしにはよく分かりません。



自分では、これが普通だし、

よくも悪くも

他の普通がわかりません。








わたしの言ってることを、

分からないひとは分からないらしいです。





けど、

わたしもわたしの中にある言葉しか伝えてないので

それ以外は分かりません。




わたしはどこにいるのか分からないんだと思います。


あなたがいるところと一緒?なところなんだと思います。



行くところが一緒なんだと思います。



あなただから見えるんだと思います。




気になるひとは気になるんだと思います。




それは

正解、でも

不正解、でもなく

あなたの答えが確かなんだと思います。




それが答えなんだと思います。




その感覚をわたしは大切にしています。



「よく分からないけど、なんか、なんか、気になる!!」

だけで充分いいと思います。



「なんか知らないけれど、その感覚、知ってる!!」

だけでいいと思います。



充分です。




興味がないひとは全然興味がないんだから。



カスリもしません。



おもしろいくらいに。




世界中にこんなにひとがいる中で

巡り会わないひとは

どんなに近くにいても

巡り会わない。




距離、ではない。




距離は関係ない。



それよりも繋がっているところがあるんだと思います。


イイヒト。

わたしはずっと、イイヒトになりたかったです。


イイヒトを演じてました。


イイヒトではない自分を悔やんでました。





イイヒト。


イイヒトは居ないんだと思います。


幻だったのかもしれません。

(わたしの持論です。世の中の"イイヒト"ごめんなさい)



都合のイイヒトはいます。


都合のイイヒト、ではなく、イイヒト、

いるのでしょうか。



イイヒトそうだけど『悪いなーー』って

プッと笑ってしまいそうなひとが愛おしいような気がします。


毒はあっていいような気がする。


毒があるから面白いような気がする。


そこを含めて好きになるような気がする。



「あー。好きだなーー」って。


「愛おしいなー」って。



それは自分と似てるからかもしれない。



欠点も含めて、好き。


漂っている雰囲気から好き。



相手の中に自分をかんじているのかもしれない。



だから自分を愛してあげてもいいかもしれない。



みんな一緒なんだーー、っていうところから

許せれることもあるんだと思います。


それでいいんだーー、っていうところから

許せれることもあるんだと思います。



そのうち、

それがいいんだー、ってなるんじゃないかな。



わたしでいいんだーー

から

わたしがいいんだーー。



わたしだったから良かったんだ!!



わたしだったから出来たんだ!!


わたしだから出来るんだ!!


わたし、凄いのかもしれない!!




そうやって

順序持ってゆっくりでいいと思いますよ。



焦らずね。



自分で腑に落とさないと、

自分の中に入ってこないからね。



頭ではなくて、

自分の中に落とし込める。



そこまで、丁寧に、ね。

楽しみをひとつずつつくる。そして生きる歓びをつくる。

これまでのわたしをご存知の方は知ってるかもしれませんが


わたしは

生きることを諦めてました。



いや、そこまで言ってなかったっけ?


ま、いいやー。



大層、生き辛く、

そして数年前は

死ぬことも諦めてました。



そう。

生きてなかったから。


生きてないので死ねません(暗くてすみません)。



生きてるから『死ねる』。


生きてないから『死ねない』。



生きも死にも出来ないなんて!!

なんちゅーことだ!!

と絶望しました。






わたしたちは生きてるからなんでも出来ます。


選ぶことが出来ます。



未来を選ぶには、生きるってちゃんと決めないといけません。



ちゃんと、生きますか?


生きてください。



生きて世界を知ってください。




わたしは数ヶ月前にまで

周りの誰かに「死ねばいいのに」と思ってました。


人として酷いですよね。

セラピストなのに。笑



けど、

発した言葉は本当は自分に言ってるってご存知ですか?


「こんな役立たず、死ねばいいのに」

とか

「なにも出来ないなんて、人間の恥。死ねばいいのに」

とか

自分を責めるセリフや内容はたくさんあります。


自分を殺そうとしてました。


自分に「死ねばいいのに」と呪いをかけてました。



それは遡ると

「わたしなんか産まれてこなけりゃ良かったかな。そうしたらうまく回ったのかな」

産まれたとこから

自分の選択を否定していることになります。


存在を全否定。


『自分はこの世に存在しないほうが良かったんだ』


と自分に言い聞かせてました。


そのために、

死ぬようなことがたくさん起こりました。



挫折ばっかりだったような気がします。



いまは、ちょっとずつ生きること選択しています。



死ぬために、生きる。


生きるために、一回死ぬ(精神的な意味で)。




生きることは死ぬことだと思いますし

死ぬことは生きることだと思います。



『死にたい』は『生きたい』。




「ずっと死にたかったんだ」と気づいたとき、

「生きたかったんだ」ということを知りました。



生と死は一緒のところにあります。




いまは「死ねばいいのに」という言葉は出てきません。



死にたかった自分を許したからかな。



そう思う自分を責めず、

ただそれを受けとめる。

許してあげる。





何度も書いたと思いますが、

わたしはずっと居場所がありませんでした。



3次元でも無かったし

スピの世界でもありませんでした。



違和感を拭いきれず、

けど

それを無視することは出来なくて

自分の世界を大切にするようにしました。



いまは、自分の世界を少しずつまた思い出しています。



ストイックに自分の内側、外側を削ぎ落としてましたが


いまはやっと

あたらしいものを取り入れてます。


今日は布作家さんのバッグのオーダーをしにいってきました。


出来上がりは三ヶ月後。



きっと、生きることを決めたからだと思います。



そうやって生きる楽しみをひとつひとつつくっているような気がします。



予定を立てることが苦手だったのだけれど


それは無意識のうちに

生きることを拒否してたからだと思います。



生きるために予定を立てよう。


予定のために生きよう。



あたらしい手帳を買おう。


今後の予定を立てよう。


好きなことを仕事にしよう。




わたしはちゃんとまだ生きています。


まだ加速系は続いているみたいです。


セッションの予約をいれたときから始まり

終わったあとも続きます。



あたらしいあなたを見つけていきたいと思います。


待っててね。