∞tipi∞ 自分に還る旅。暮らしとスピリチュアル。

体感型&非体験型のシークレットサロン/fukuoka

なにもないからなんでもできる。新しいスピリチュアルのカタチ。

なにもできないと思ってた。


けれど

なんでもできてる自分がいる。


外側の自分と

内側の自分が出会ったとき、


全部が揃い

すべてがかなう。



ずっと前から

「なにもしなくていいよ」と言われてた。


「そこに居るだけでいい」って。



「なにかしなくてはいけない」と

常に思ってたわたしは

それが信じれなかった。



けれど

ありのままでそのままでいたら

それだけでクライアントさんは

いろんな変化を伴って進んでいかれる。


頑張らなくてもいい。


やりたいことをやりたいだけ。


それだけで全部が叶う。


言いたかったら言う。

やりたかったらやる。


「もういいや」と思ったらそれまで。



すごくシンプル。



全部、内側からくるもの。



出してあげる。


きちんと見せてあげる。



自由自在、

制限せず

表現していく。





目の前にいるひとの願いを叶えるのもわたしの仕事。



意識に潜り

そこを変更すればいい。



叶えられないものはない。


そのかわり、

どう生きたいか。

どう在りたいか。


自分の在り方を考える。


ベクトルは常に自分。



この世界は思い込みで成り立っている。


その思い込みをなくしていく。




あとは勝手に動いていく。


信頼して任せればいい。



委ねれないひとは

それまでじゃないかな。








宇宙いちの甘えたさんは

ミエナイ存在をも味方につけて

整えてもらっている。


「無理ーー」って思ったらやってくれる。


だから

なにもできないからなんでもできる、

ってことなだけ。




甘えればいいんよ。

無理なもんは無理って言っていいんよ。


周りを信頼して任せればいいんよ。


お願いすればいいんよ。


「なにも出来ません」でいいんよ。


あとはいろいろ動いてくれるから。




それをお願いすることもひとつの才能かもしれんね。

それが

『拝み屋』のひとつなのかもしれんね。


昔みたいに身を捧げなくてもいい。

人身供養?



ちゃんと神様のために身体を預けてるから

それでほぼほぼ成立しているのかもしれない。


まぁ、奉納しているのは変わらないか。


もう身体は捧げている。


好きなように使ってもらっている。



それだけですごく理にかなっている。




ともに生きるとはそういうこと。


ずっと孤独だったけれど

ひとりではなかった。


ずっと一緒だった。



俺があいつで

あいつが俺で。



だからわたしが興味を持ったひとは

どんどん進んでいくのかな。


その変化を見て楽しむことが出来る特権なのかな。



ひとの輝きを観れるのは本当に嬉しいから

どんどんやりたくなる。

与えたくなる。


それがわたしの歓び。


お願い。

もっと輝いて。

わたしも輝くから。