2017/10/17 event・シャーマンワーク・慈雨。in福岡
約1ヶ月後の
10月17日にeventを開催します。
【慈雨】とは
万物を潤し育てる雨、
必要なときに必要なだけ降る雨のことを言います。
今回、
それぞれ持ってるものを活かし
伸ばし高め合うことを目的とする
ワークショップを開催します。
おひとりおひとりに必要なメッセージ
オリジナルディクシャ
感じたことのシェア会。
etc...
これからの時代、
必要なひとたちが必要なものをもって
この世界を担っていかれると思います。
なにが必要でなにが必要ではないか、
これまで捨受されてきたかと思われます。
なにをしてこれまで生きてきたのか
いま、まさに問われてる時期ではないでしょうか。
最終段階?
調整?
必要なぶんを必要なだけ。
分け与えていきこれからに備えていきたいと思います。
とくに参加条件はありません。
なにかしらピンときた方は
是非この機会にご参加されてみてください。
なんとなく気になる、
予定が空いた、も充分な動機だと思います☺︎
はやいハナシ、お気軽にどうぞーー♡笑
必要なときに必要なだけ受け取り
シェアしていきましょう。
日時 2017年 10月17日(火曜)
11時〜14時半くらいまで
(詳しい住所はご予約確定後お伝えします)
定員 6人くらい
お値段 17,000円
ご希望の方は
タイトルを【慈雨の会】とし
1.お名前
2.ご住所
3.連絡のつくお電話番号
を記載のうえ
kurashitrip@gmail.comまでご連絡ください。
締切は9月30日(土曜日)とさせていただきます。
メールをいただいたあと、確認をさせていただき
3日以内にお振込先の口座をご連絡させていただきます。
お手数ですが、お振込後、連絡をいただけましたら幸いです。
確認させていただいたあと、
住所をお伝え致します。
そこで予約確定となります。
もしなにかありましたら
kurashitrip@gmail.comまでご連絡ください。
お問合せも受付けています。
みなさんにお会いできるのを楽しみにしています。
じぶんをひとつずつ。
みなさん、こんにちは。
お元気ですか?
台風の被害は大丈夫ですか?
明日以降のひとも大丈夫ですか?
わたしはなんとか元気です☺︎。
もう9月も半ばですね。
ここ半月、あまり記憶がありません。
(いつものこと?)
あっという間ですね。
なんか浄化がすごいというか、
なんというか。
携帯まで壊れてびっくりしました。笑
いまも、ゆっくり
session等お受けしながら
なるべく1人になるようにして
じぶんとの対話?を心がけています。
これまで疎かにしてたぶん、
じぶんの機嫌はじぶんで取る、を心掛けています。
基本的には引きこもってますが
思うがまま、出掛けたり
会いたいひとに会いにいったり
そこでの偶然の出会い、
ゆっくり時間、
空間を大切にしたり。
ゆっくり、ゆっくり。
そう。
ジュディマリの『風に吹かれて』みたいに。
ジュディマリ世代で
その曲も当時からなんか好きでしたが
最近になってその深さを知りました。
あまり、最近はひとと会ってません。
誰とも会わない日々。
出掛け先で、そこに居合わせた方とお話させてもらって、
「また♡」
とさよならする。
なにものにもならないでいる。
わたしにとってはたいせつな時間です。
わたしは、すぐ誰かになろうとします。
誰かになってじぶんを隠します。
多分、
じぶんは間違ってるんだ、という思い込みがあるからだと思います。
逃げてるんだと思います。
気付いたときから、
わたしは少数派に部類されてました。
いま思えばね。
"変わってるひと"。
"なんかちょっとズレてるひと"。
じぶんの中ではあたりまえのことをしてるのに
なんかひととは違うらしい。。。
多数決で多い方が"正解"とされるこの世の中では
どうも生き辛く、
「あー、わたしの感覚が間違ってるのかな」とじぶんを否定してました。
『まわりの人の真似をしてたら間違いないだろう』
いつからかそう思って信じてきました。
基本、人真似です。
「へー、それが当たり前なんだ。
それが世の中の"普通"なんだ」
他人のことは
めっちゃ吸収できます。
相手になることができます。
ひとを観察してる間に習得できたことなのかな?
他人とは合わないじぶんは、
小さいころからひとりあそびが好きです。
でも、大人は「みんなと遊びなさい」と言う。
群れることがあんまり好きではありません。
だれかと同じことをすることがあまり得意ではありません。
すぐ、はみ出ます。
その反面、
周りに合わせることは得意なので
周りに合わせることでじぶんを無視してきて
調和を図ってました。
頑張って、ね。
それは頑張ることです。
細心の注意を払って。
両親もすぐ機嫌が悪くなるひとたちだったから
顔色を伺うことは得意だったんでしょうね。
わたしという造られた枠に
無理矢理押し込めていました。
そうやって、偽のわたしが出来てきました。
周りが正解なので
わたしは隠れてたほうが無難。。。
わたしは間違ってる。
そして現在、、、
じぶんがわかりません。
どれがじぶんなんだろう?
じぶんって誰なんだろう?
他の人で出来上がってたじぶんを
ベリベリって剥がしていったら
なにも残っていません。
好きなもの?と聞かれてもよくわからない。
どんなひと?と聞かれてもよくわからない。
なにをしているの?と聞かれてもよくわからない。
これまでのわたしはなんだったんだろう?と
じぶんでじぶんに衝撃を受けてます。
いったい、なにを大切にしてきたんだろう。
なにに囚われてたんだろう。
うーん。
虚無です。
ゼロです。
いまは、じぶんの答えを導いていってます。
じぶんの答えはじぶんが知ってるんだと思います。
なにが好きで
なにが嫌いだったか。
なにが正解で
なにがそうじゃないのか。
じぶんだけの答え。
結局、じぶんを信頼してる。のかな。
周りを信じてここまできたけれど、
依存してしまったらまたそれは違ったものになる。
誰かを信じるということは
それを信じたじぶんを信じるということ。
周りの声も大切にして、
その中でじぶんの答えを出していく。
例えば、
美味しいパスタ屋さんを探してて
誰かが「あそこは美味しかったよ」と言ってて。
実際行ってみて
口に合わなかったとしたら、
そんなとき、誰を責めるのだろう。
勧めたひと?
シェフ?
多分、誰も悪く無いんだと思う。
違っていいんだと思う。
美味しさや美しさはひとそれぞれ違うのだと思う。
じぶんの感覚を大切にしたい。
好き♡を大切にしたい。
好きだなー♡を表現したいのだと思う。
わたしの好きなものはこれだよ♡♡って。
暮らしを大切にしたいし
じぶんを大切にしたい。
これからの生きかたも大切にしたい。
好きなものは言っちゃいけないと思ってた。
しちゃいけないと思ってた。
好きなものがわからないいまは
じぶんの心地いいものをひとつずつ。
じぶんが好きなものをひとつずつ。
じぶんをひとつずつ、
汲み取って並べています。
いらないものは剥がしています。
それが並べられたら
わたしになってるんだと思う。
絶賛、リニューアル中。
金木犀の香りがするころには間に合うかなーーー。
すきなもので並べられたわたしの暮らし。
それでお客さまを迎え入れてお話するの。
じぶんの世界をお披露目するの。
じぶんの世界は、隠さなくてはいけなくもないかもしれない。
だれかがもしかしたら必要としているのかもしれない。
ひとを導くこと。
「あっちにいこうよ」って。
すぐひとりで行っちゃおうとするから、
お招きするのもいいのかもしれない。
お招き、してるけどね。笑
包み込んで、ご招待。
お客さまとお話するときは
わたし、だから
また違うんだよね。
皆さんはスイッチ、ありますか?
わたしは
オン
と
オフ
と
すっごくオフ。
の3段階かな。
あ、1ヶ月後にイベントを考えています。
ファイナルステージみたいな、
シークレットステージみたいな、
静かな
こじんまりとした
でもワクワクな会。
ひとりひとりに丁寧に。
少人数になるかもしれないけど
一緒に。
そしてそれぞれ
あなたに必要なヒカリを届けます。
「大丈夫だよ」って。
多分、わたしとわたしの物語なんだろーな。
不安だよ、というわたしと
大丈夫ですよ、というわたしが
いつも一緒にいる。
それに戸惑うわたしもいる。
今日はこれからに向けて調整。
そのための台風なのかもしれないな。
家でゆっくりしながらこれからをつくりあげていきたいと思います。
近況報告&制限を解く。
こんばんは。
お元気ですか?
わたしはなんとか生きてます。笑
ここ数日、浄化?
めちゃくちゃきつかったけれど
なんやかんや見つめ直し、
大きな何かが動いた感じです。
そんな中、たくさんブログを読んでくださったり
お申込みしてくださったり
メールをくださったり
ありがとうございます。
あ、『お手紙』を申し込んでくださったお客さま、大変お待たせして申し訳ありません。
明日、投函出来そうです。
体調がよろしくなかったり
溜め込み過ぎたりしてませんか?
わたしはいっこいっこ緩めています。
そんな中、
昨日、お客さまからメールをいただきました。
ありがとうございました。
本当に嬉しかったです。
ほんとのこと。
この世界には何にもない。
だからなんでも創り出せる。
わたしたちもいない。
あ、
全部わたしで
わたしは居ない、
が分かりやすいかな?
別の角度からいうと
全部あなたであなたも居ない。
なにも探さなくていいよ。
ずっとそれはそこにあるから。
そのままでいてください。
誰かになろうとしなくていい。
どこかに行かなくてはいけない、というのもない。
いつも近くにある。
あなたにならなくてもいい。
わたしにもならなくていい。
もともと同じ。
あなたがいるところにいて。
そこにいて。
わたしはあなたにはなれないから
あなたはあなたのままでいて。
life art therapist
最初からなにもなかった。
ただそれがそこにあっただけ。
近すぎて見えないんじゃないかな。
それがそこにあるだけなんだよ。
だからなんでも出来るんだよ。
なににもならなくて良かったんだよ。
最初からそれだったんだから。
だからそのままでいいんだよ。
なにもないよ。
そもそもそこにはなにもなかったんだよ。
なにもないんだからそこにもないよね。
探さなくていいんだよ。
生きて、輝いて。
貴方はすごいひとですか?
わたしは自分のこと、すごくないと思ってました。
「すごいですねーー」と言われても
「すごくないよーーー」って全否定。
「このひともすごいのにこのひとはなにを言ってるんだろう?」と。
あまり受け取らない性質。
肯定感のため、「すごい」と思うようにしたら、
「あ、わたし、生きてるからすごいんだ。生きてるだけですごいことなんだ!」
ということを知りました。
生きてるって初めて知りました。笑
「すごい」を受け入れたら
「生」も付いてきた。
わたし、生きてなかったんですよね。
不思議っていうか謎ですが
生きてる実感がありませんでした。
この世に要るのか?
必要なのか?
って思ってたし
生きてないからすごくないと思ってました。
抹殺しようとしてました。
よくやる癖のようなものです。
この世界に順応していないと思って
自分を孤立させるのは昔から得意。。。
大勢の中にいるときは
息をしてるのだろうか。。。笑
さんまさんは
「生きてるだけで丸儲け」って言われてますが
よくよく考えたら
生きてるだけですごいことなんだと思います。
よく、こんな耐えてるなって。
自分で選んでここにきてるんだけど
よく耐えてるなって。
我ながら尊敬します。
自分の犯した罪を償おうと
最大限なことをやってきて、
死んでも良かったくらいなんだけど
それを全部回避出来てるってすごいなって。
さすが、護られてるってやっぱり違うな、って。
えへへ。
死なないように、死なないように、
ずっと護られてきた。
死んだらたくさんのひとを野垂れ死にさせるらしい。
迷子のままにさせるひとがかなりの人数になるらしい。
「生きれ」とずっと言われてきたけれど
「そもそも生きるってなんだろう」って思ってた。
生きるって歓びなんだよね。
生きるって輝きなんだよね。
命をかけて、ここまできたんだよねーー。
護るべきもののために
女性でいることをやめて死にものぐるいで
必死に必死にここまできた。
なんとか自分の場所を創ろうとしていた。
そしたら、もう敵はいなくなってた。
誰もわたしを追いかけないようになってた。
独特過ぎて、オリジナル過ぎて、
唯一無二の存在になってた。
わたしはオカシイんだと思う。
お客さまには悪いんだけど、わたしはじぶんのこと精神異常者じゃなかろうかと密かに思っている。
そんな精神異常者、だれが相手をするんだろうか、
と思ってるし
誰がこんなわたしにお金を払ってくれるんだろうか、と思ってる。
そしてそこを目指すひとはいないし
周りはわたししかいないと思ってる。
そんなひとはわたしだけで充分だと思ってる。
この世界はわたししかいないと思ってる。
たまにめぐり合うひともいるけれど、
それはわたしの言葉を必要としているひとで
それだけの関係性で
あとはまた居なくなるんだろうなって。
誰も居ないし
誰と戦ってたんだろーねって。
そういう意味で
戦えるひとは周りには誰もいない。
手を取り合って高め合う、わたしを認めてくれるような人しかいない。
あとはもう、見えてないんだと思う。
だから、そういうひとのために自分に出来ることは目一杯したいと思ってるけれど
失礼な話だよね。
ちゃんと選んで来てくださってるのに
自分は自分のこと精神異常者だと思ってるって。
すごい失礼なんだと思う。
ごめんなさい。
失礼過ぎて、ほんとどうしようもない。
申し訳ないと思ってる。
でも、もう戦うひとが居ないところまで来たって知ると
安心したのか
やっと化粧をする余裕も出てきました。
やっと自然体でいれるようになりました。
やっと生きることを楽しむことが出来るようになりました。
精神異常者なのに楽しんでいいのだろうか?という迷いはあるんだけれど
わたしはそれしか出来ないし、
それを見せたらまた違うのかな、って。
なにも出来ないけれど
自分にしか出来ないことでこんなに周りのひとを幸せに出来るよ、って
希望になればいいな、って。
昨日、お客さまからメールをいただいて、
ふと気付いたことがあります。
「あ、わたしspiritualに興味がなくなってる。。。
spiritualのことがわからない。
spiritualすらこの世にないのかもしれない。」
あんなに嫌いって言ってたけれど
"嫌い"と"好き"は同じところにあるんですよね。
ずっと気になってたけれど、
いまはあってもなくてもいい。
どっちでもいい。
生きてるだけでspiritualなんだと思う。
やってることがもうspiritualなんだよね。
なんもないから、もうやりたいことをやってるだけ。
それがもうスペシャル過ぎて、ありがたい。
話を聞いてくれるひと、
それに合わせて行動してくれるひとは
変化がはやいな、って昨日改めて思いました。
職場でカミングアウトして半年も経ってないけれど、
周りのひとは
それぞれの道を進み、自分の道を開拓してらっしゃる。
自分らしさを取り戻してらっしゃる。
生きる場所を創ってらっしゃる。
みんな、場所を探してるんですよねー。
先日も別のお客さまからの感想(?)で
「小さいころ、秘密基地を創ってはまた探してを繰り返してました」
というようなことを仰ってました。
わたしもよく創ってた!!!
自分だけの場所。
帰れる場所。
好きなもので固めた場所。
子供が創るレベルのクオリティなのに
不思議とそこが
"護られた場所"になる。
実家以上にね。笑
逆に、
別の人の話も聞いているひと、
掛け持ち?しているひとは
「どうしたらいいのーー?」っていう念が強い。
わたしの答えは
「どうもせんでいい。」
になるけどそれまでのプロセスは段階があるし、
その言葉の裏、見えないところにはいくつもの言葉が隠れているし
そこに熱量?をかけようとしないひと、
見ようとしないひとには
なにもできないしなにも言えないし、
そこをまた崩していかないといけないし、
難しい。
ほんと、本人次第なんだと思う。
ひとによって見ている世界は違うから
どれもあるんだけど
自分の場所が分からなくなってらっしゃる。
わたしは別にどの話を取り入れてもいいと思うんよね。
部門が違うだけだから、どれを選んでもいい。
それは自由なんだと思う。
情報過多にならないよーに、絞るか
自分にあってるものをイイトコ取りしたらいいと思う。
そこは厳選する。
自分のために。
見る目を養う。
感覚で生きる。
要らない情報はないんだと思うんだけど
全部を取り込んでいたらパンパンになって身動きが取れなくなる。
それよりももっとシンプルに
「自分の場所に還ろう」
「自分になろう」
「自分を生きよう」
がナチュラルなんだと思う。
わたしは背伸びせず等身大の自分で輝いて、
周りのひとの輝きを見たいだけなんだ。
なにをやる、って決めなくていいと思うんだ。
自分をやればいいと思うんだ。
そのために自分を知ればいいと思うんだ。
本質をね。
本質さえ無いらしいけれど
自分の根源、奥の奥、潜って見てみたらいいと思うんだ。
なにもないけどね!!
結局、なにもないんだな。
結局、なにもなかったし
これからもなにもない。
確かにいろんなことあったけど
なんもない。
『いま』しかないから
いまはなにもないから
この先もなにもない。
なんかあったかもしれないけれど
なんもない。
過去も未来も、存在しないからさ
なんもないところを見てるんだよね。
誰かが
「あんなことあった」と言えばそれが出来上がるし
「今後こういうことする」と言えばそうなんだろう。
わたしはそれをやってるあなたを見るのだろう。
現実化させるんだろう。
急に『あり』になるのだろう。
架空の世界で生きてるから
それが出来るのだろう。
結局なにもなく
意味もないそれをただ見るのだろう。
ニコニコしながら。
わたしは笑いたいんだ。
いまは結構、楽しい。
お花畑でいることが出来る。
あまり考えていない。
考えろ、と言われるかもしれないけれど
考えてもなにも出てこない。
だから楽しむ。
辛いこともどっかに忘れてきた。
愉しいこともどっかに忘れてきた。
いまの"愉しい"を拾って、またそこに置いていけばいい。
Hello!!って挨拶して、
またね!!ってさよならする。
これからは無限の楽しみが待っている。
あまり忠実に決めなくていいと思う。
信頼の余白。
いいものが入ってくるからさ。
いいも悪いもないかもしれないけれど
わたしに適したもの。
わたしに必要なもの。
わたしにぴったりのもの。
必要なときに必要なものが必要なだけ、
いや、それ以上のものが入ってくる。
受け口がたくさん開いている。
受け取るほうの
開いてるか開いてないかでも変わってくるんだと思う。
大丈夫だよ、っていう安心感。
もう、大丈夫だよ。
ほら、ここまで来た、って。
疑い深いから
散々疑ってきたから
それがもう"大丈夫"に切り替わったんだろう。
疑ってもなにもなかったよ。
なにも出てこなかった。
確認したから、さぁ、先に進もう。
ピクニックに出かけよう。