あるシャーマンのつぶやき。

体感型&非体験型のシークレットサロン/現在おやすみ中

愛する、ということ。

わたしたちは、ずっと一緒に"いた"。

ずっと近くに"いた"。


でも最初はすごく怖かった。

重なるときもあり、出会ったときは

パニックになるくらい。

恐怖に怯えていた。



愛するってなに?

お金?

買い与えること?


ずっと一緒にいることなんだと思う。

気にかけること。

忙しくても、見てるよってサインを送ることなんだと思う。


心配してるよ、

信頼してるよ、

嬉しいね、

なにかあったの?

なんかしよっか?出来ることある?

よかったね、お祝いだね



それをやるために、昨年はずっとひとりでいた。


すぐ余所見をするから

ふたりだけの時間をあえてつくった。


厳しすぎるわたしだから

最初は怯えさせてた。


見護る、ではなく

見張る、をやってた。


その視線が怖かった。



愛されたかった。

愛されていた。


ずっと一緒にいてくれたけれど、

それを受け容れることができたのはつい最近のこと。


相手はなにも変わらなかった。


わたしがダメなコだから叱られてるって思ってただけ。


信頼されてないって思ってただけ。



なにも怖いことはなかった。


ちゃんと近くにいてくれた。


寄り添っていてくれた。



めんどくさいなぁーと思ってたけれど

振り払ったりしたけれど

それが愛だったんだな。


多分、ずっとイライラしてたんだと思う。



なんも知らないくせして、って

いきがっていたんだと思う。



なんも知らないっていいな、って

羨ましかったんだと思う。



めっちゃ反抗期。



愛されてるから出来るんだよね。

愛されてるって知ってるから出来ることなんだよね。



やりたくない、

やだー

やだー


何年やらないでいたんだろう。

何年反抗してたんだろう。


デビューしたての夏はもう既にひとに会いたく無かったから


3年はもう続いてる。


やりたい、が

やらなきゃ、になり

多分それが嫌になったんだろう。


わたしはそのために生まれてきた、って気付いて

「じゃあ生きてやらない」ってなったんだと思う。


ひねくれてた。


相当こじれてた。



修行はいらないって思ってたけれど

わたしは日常生活が修行だった。


あたりまえのことがなにもできない。


あたりまえがわからない。


あたりまえをつくっていくことからはじまった。



わたしはなんもない、以上!!



なんもないからさ、

なんでも出来るんだよ。



それが創造主。



あたらしくつくりあげること。



あなたはどうなりたい?



それだけ教えてもらえたら、

あとはまかせてくれたら大丈夫。



あなたはどんな暮らしをしていきたいですか?



あなたはどんなひとですか?



あなたはなにをどうしたいのですか?



わたしはわたしを愛したい。