あるシャーマンのつぶやき。

体感型&非体験型のシークレットサロン/現在おやすみ中

わたしと発達障害と脳と手。①

気付いているひともいるかもしれないけれど


わたしは(多分)発達障害だ。


診断は受けてない。

受けても受けなくてもわたしはわたしやし。


どっちでもいい。


受けたとしてもなにもしないし。


わたしには変わりがない。



以前から

ちょっと変わったひとと言われてたけれど

わたしの中では普通だった。


発達障害という概念も分からなかっただろう。


時間配分は下手くそだし

モノは管理出来ず整理整頓できない、

忘れ物は毎回、

提出物は提出できない、

昔のことはあんまり覚えてない、

顔を覚えれない、

話を聞いてても側でなにか雑談されてるとそちらに気をとられてなにも聞こえなくなる、

団体行動が出来ない、


などなど

他にもいっぱいあるけど

そんなのは昔からだし

わたしがだらしなかったからだと思ってる。


わたしがいけないんだ、といつも自分を責めてきた。



それでも

学校はほとんど休まず行ってたし

看護師としてもたまにパンクしながら15年以上やってきた。


何回もやって身体が憶えてるからできる。

インストールだ。

肉体に刻み込む。



覚えるのは苦手だったけれど

ただちょっと抜けてるんだと思ってた。



それが崩れた(?)のはここ数年だった。


出来ないのに無茶苦茶頑張ってきたことを知った。

剥がれてしまって、いまはあんまり出来ないんだな、ということを知った。


じぶんの特性の意味がわかった。


なんかしてないと気が済まないのは、多動症

時間いっぱい動いていたいからマイペース。


疲れると、気絶するように眠る。


疲れる原因は、いろんな音、声、が身体にビシバシ入ってくる。


疲れるとより敏感になるから悪循環。

我慢できなくなり、発狂したくなる。


独特の世界観がある。

エネルギーでしかものを見ていない。

似てるものは違いがあんまりわからない。


こだわりが強い。

譲ってるふうで譲っていない。



ここ数年でちょっとずつ受け入れていった。


理由がわかってホッとした部分もある。


まだわからないけれど、もう無理なんだな、って

諦めてるところもある。


がむしゃらにして否定してきたけれど、もううけいれないといけないんだ

というのもある。


弱音を吐きたかったけれど

甘え、と言われるのが怖くて

「できません」ていうのが難しかった。



負けず嫌いだから、

「もう無理」というのが怖かった。


奈落の底に落とされるような気がした。


わたしは、人として基本的なことはなにも出来ない、

と認めることが怖かった。