あるシャーマンのつぶやき。

体感型&非体験型のシークレットサロン/現在おやすみ中

生きて、輝いて。

貴方はすごいひとですか?


わたしは自分のこと、すごくないと思ってました。


「すごいですねーー」と言われても

「すごくないよーーー」って全否定。



「このひともすごいのにこのひとはなにを言ってるんだろう?」と。


あまり受け取らない性質。




肯定感のため、「すごい」と思うようにしたら、



「あ、わたし、生きてるからすごいんだ。生きてるだけですごいことなんだ!」



ということを知りました。





生きてるって初めて知りました。笑



「すごい」を受け入れたら

「生」も付いてきた。




わたし、生きてなかったんですよね。


不思議っていうか謎ですが

生きてる実感がありませんでした。


この世に要るのか?

必要なのか?

って思ってたし


生きてないからすごくないと思ってました。



抹殺しようとしてました。



よくやる癖のようなものです。



この世界に順応していないと思って

自分を孤立させるのは昔から得意。。。



大勢の中にいるときは

息をしてるのだろうか。。。笑




さんまさんは

「生きてるだけで丸儲け」って言われてますが




よくよく考えたら

生きてるだけですごいことなんだと思います。



よく、こんな耐えてるなって。



自分で選んでここにきてるんだけど

よく耐えてるなって。




我ながら尊敬します。




自分の犯した罪を償おうと

最大限なことをやってきて、

死んでも良かったくらいなんだけど

それを全部回避出来てるってすごいなって。



さすが、護られてるってやっぱり違うな、って。



えへへ。



死なないように、死なないように、

ずっと護られてきた。



死んだらたくさんのひとを野垂れ死にさせるらしい。


迷子のままにさせるひとがかなりの人数になるらしい。



「生きれ」とずっと言われてきたけれど


「そもそも生きるってなんだろう」って思ってた。




生きるって歓びなんだよね。


生きるって輝きなんだよね。






命をかけて、ここまできたんだよねーー。


護るべきもののために

女性でいることをやめて死にものぐるいで


必死に必死にここまできた。




なんとか自分の場所を創ろうとしていた。





そしたら、もう敵はいなくなってた。


誰もわたしを追いかけないようになってた。



独特過ぎて、オリジナル過ぎて、

唯一無二の存在になってた。






わたしはオカシイんだと思う。




お客さまには悪いんだけど、わたしはじぶんのこと精神異常者じゃなかろうかと密かに思っている。




そんな精神異常者、だれが相手をするんだろうか、

と思ってるし




誰がこんなわたしにお金を払ってくれるんだろうか、と思ってる。




そしてそこを目指すひとはいないし

周りはわたししかいないと思ってる。


そんなひとはわたしだけで充分だと思ってる。



この世界はわたししかいないと思ってる。




たまにめぐり合うひともいるけれど、

それはわたしの言葉を必要としているひとで

それだけの関係性で

あとはまた居なくなるんだろうなって。




誰も居ないし

誰と戦ってたんだろーねって。



そういう意味で

戦えるひとは周りには誰もいない。




手を取り合って高め合う、わたしを認めてくれるような人しかいない。


あとはもう、見えてないんだと思う。




だから、そういうひとのために自分に出来ることは目一杯したいと思ってるけれど



失礼な話だよね。




ちゃんと選んで来てくださってるのに

自分は自分のこと精神異常者だと思ってるって。



すごい失礼なんだと思う。



ごめんなさい。




失礼過ぎて、ほんとどうしようもない。




申し訳ないと思ってる。




でも、もう戦うひとが居ないところまで来たって知ると

安心したのか


やっと化粧をする余裕も出てきました。



やっと自然体でいれるようになりました。



やっと生きることを楽しむことが出来るようになりました。





精神異常者なのに楽しんでいいのだろうか?という迷いはあるんだけれど



わたしはそれしか出来ないし、

それを見せたらまた違うのかな、って。



なにも出来ないけれど

自分にしか出来ないことでこんなに周りのひとを幸せに出来るよ、って

希望になればいいな、って。







昨日、お客さまからメールをいただいて、

ふと気付いたことがあります。



「あ、わたしspiritualに興味がなくなってる。。。

spiritualのことがわからない。

spiritualすらこの世にないのかもしれない。」



あんなに嫌いって言ってたけれど


"嫌い"と"好き"は同じところにあるんですよね。



ずっと気になってたけれど、

いまはあってもなくてもいい。

どっちでもいい。




生きてるだけでspiritualなんだと思う。



やってることがもうspiritualなんだよね。




なんもないから、もうやりたいことをやってるだけ。



それがもうスペシャル過ぎて、ありがたい。




話を聞いてくれるひと、

それに合わせて行動してくれるひとは

変化がはやいな、って昨日改めて思いました。



職場でカミングアウトして半年も経ってないけれど、



周りのひとは

それぞれの道を進み、自分の道を開拓してらっしゃる。



自分らしさを取り戻してらっしゃる。



生きる場所を創ってらっしゃる。




みんな、場所を探してるんですよねー。




先日も別のお客さまからの感想(?)で

「小さいころ、秘密基地を創ってはまた探してを繰り返してました」

というようなことを仰ってました。



わたしもよく創ってた!!!



自分だけの場所。

帰れる場所。

好きなもので固めた場所。

子供が創るレベルのクオリティなのに

不思議とそこが

"護られた場所"になる。


実家以上にね。笑




逆に、

別の人の話も聞いているひと、

掛け持ち?しているひとは

「どうしたらいいのーー?」っていう念が強い。



わたしの答えは

「どうもせんでいい。」

になるけどそれまでのプロセスは段階があるし、

その言葉の裏、見えないところにはいくつもの言葉が隠れているし

そこに熱量?をかけようとしないひと、

見ようとしないひとには

なにもできないしなにも言えないし、

そこをまた崩していかないといけないし、

難しい。

ほんと、本人次第なんだと思う。





ひとによって見ている世界は違うから

どれもあるんだけど

自分の場所が分からなくなってらっしゃる。


わたしは別にどの話を取り入れてもいいと思うんよね。


部門が違うだけだから、どれを選んでもいい。


それは自由なんだと思う。




情報過多にならないよーに、絞るか

自分にあってるものをイイトコ取りしたらいいと思う。


そこは厳選する。

自分のために。

見る目を養う。

感覚で生きる。




要らない情報はないんだと思うんだけど

全部を取り込んでいたらパンパンになって身動きが取れなくなる。




それよりももっとシンプルに

「自分の場所に還ろう」

「自分になろう」

「自分を生きよう」

ナチュラルなんだと思う。




わたしは背伸びせず等身大の自分で輝いて、

周りのひとの輝きを見たいだけなんだ。



なにをやる、って決めなくていいと思うんだ。


自分をやればいいと思うんだ。



そのために自分を知ればいいと思うんだ。



本質をね。



本質さえ無いらしいけれど

自分の根源、奥の奥、潜って見てみたらいいと思うんだ。



なにもないけどね!!