あるシャーマンのつぶやき。

体感型&非体験型のシークレットサロン/現在おやすみ中

ひとが好き?

わたしは、ひとが好きではありません。


自分も、ひと、なのにね。笑


魂の記憶かな。




ひとを恨んでいます。


裏切られて悔しい、と

いつもどこかで思ってました。


『人間は、裏切るものだ。』


『わたしは人間に受け入れられないんだ。』


『わたしは人間とは違うんだ。』




絶望したんでしょうね。





自分を人間だということを忘れたままのときもあります。




人まねばかりで動いてきました。


人の言う通りしてたら間違いではないと思ってました。


人としての自信はあまりありません。



アホみたいですが、

「わたし、人間ですか?」

「わたし、人間、きちんとやれてますか?」

聞きたくなるときがあります。



職場の先輩に聞いたこともあります。


人間、と答えをいただきました。


衝撃でした。


「あ!やれてたんだ!!」笑






安心しました。





きっと、人間に執着しすぎなんだと思います。



ひとが好き、なんでしょうね。


好き過ぎて、仲間になりたかったんだけど


人間ではないところがあって

雑?都合のいいように使われた記憶があったような気がします。


そのときの傷が深く深く残ってます。



次こそは、

次こそは、

人間らしく生きてきました。



人間に期待し過ぎてたのだと思います。




期待し過ぎると、裏切られ感が出てきます。


期待、は執着になります。



未来に期待し過ぎると、

今の自分とのギャップにへこむことがあります。



今に、欠乏感を与えてしまいます。



期待をしたらいけない、ということではありません。



淡々と、「そうなって当たり前じゃない?!

普通だし。なにか?!」くらいのスタンスでいればいいと思います。



「自分の中では

当たり前のストーリーだよ」って。



知っても、忘れたらいいと思います。




忘れてもいいんだと思います。


そこには辿り着くんだから。



執着を手放す、ということはそういうことなんだと思います。








わたしと会ったことがないひとが

セッションを申し込みをしてくださるとき、


「楽しみにしています」

「緊張します」

「ドキドキします」


と言ってくださることがあります。



ありがとうございます。


ですが

ふつーー、の人です。笑


なんちゃないです。




上でもないし下でもないし

一緒。


同じところにいるよ、

同じこと考えてるよ、って。




わたしにピンとくるひとは

結構稀で、

それだけで凄いと思っています。


それはわたしが凄いっていうわけではなく、


そうらしい、ってだけです。



これまで、

何人かのひとが


「自分もその段階にきたんだな、と嬉しくなった」と

おっしゃってたことがあるからです。



それがその方の答えなのだから

そうなんだと思います。


わたしにはよく分かりません。



自分では、これが普通だし、

よくも悪くも

他の普通がわかりません。








わたしの言ってることを、

分からないひとは分からないらしいです。





けど、

わたしもわたしの中にある言葉しか伝えてないので

それ以外は分かりません。




わたしはどこにいるのか分からないんだと思います。


あなたがいるところと一緒?なところなんだと思います。



行くところが一緒なんだと思います。



あなただから見えるんだと思います。




気になるひとは気になるんだと思います。




それは

正解、でも

不正解、でもなく

あなたの答えが確かなんだと思います。




それが答えなんだと思います。




その感覚をわたしは大切にしています。



「よく分からないけど、なんか、なんか、気になる!!」

だけで充分いいと思います。



「なんか知らないけれど、その感覚、知ってる!!」

だけでいいと思います。



充分です。




興味がないひとは全然興味がないんだから。



カスリもしません。



おもしろいくらいに。




世界中にこんなにひとがいる中で

巡り会わないひとは

どんなに近くにいても

巡り会わない。




距離、ではない。




距離は関係ない。



それよりも繋がっているところがあるんだと思います。