あるシャーマンのつぶやき。

体感型&非体験型のシークレットサロン/現在おやすみ中

楽しみをひとつずつつくる。そして生きる歓びをつくる。

これまでのわたしをご存知の方は知ってるかもしれませんが


わたしは

生きることを諦めてました。



いや、そこまで言ってなかったっけ?


ま、いいやー。



大層、生き辛く、

そして数年前は

死ぬことも諦めてました。



そう。

生きてなかったから。


生きてないので死ねません(暗くてすみません)。



生きてるから『死ねる』。


生きてないから『死ねない』。



生きも死にも出来ないなんて!!

なんちゅーことだ!!

と絶望しました。






わたしたちは生きてるからなんでも出来ます。


選ぶことが出来ます。



未来を選ぶには、生きるってちゃんと決めないといけません。



ちゃんと、生きますか?


生きてください。



生きて世界を知ってください。




わたしは数ヶ月前にまで

周りの誰かに「死ねばいいのに」と思ってました。


人として酷いですよね。

セラピストなのに。笑



けど、

発した言葉は本当は自分に言ってるってご存知ですか?


「こんな役立たず、死ねばいいのに」

とか

「なにも出来ないなんて、人間の恥。死ねばいいのに」

とか

自分を責めるセリフや内容はたくさんあります。


自分を殺そうとしてました。


自分に「死ねばいいのに」と呪いをかけてました。



それは遡ると

「わたしなんか産まれてこなけりゃ良かったかな。そうしたらうまく回ったのかな」

産まれたとこから

自分の選択を否定していることになります。


存在を全否定。


『自分はこの世に存在しないほうが良かったんだ』


と自分に言い聞かせてました。


そのために、

死ぬようなことがたくさん起こりました。



挫折ばっかりだったような気がします。



いまは、ちょっとずつ生きること選択しています。



死ぬために、生きる。


生きるために、一回死ぬ(精神的な意味で)。




生きることは死ぬことだと思いますし

死ぬことは生きることだと思います。



『死にたい』は『生きたい』。




「ずっと死にたかったんだ」と気づいたとき、

「生きたかったんだ」ということを知りました。



生と死は一緒のところにあります。




いまは「死ねばいいのに」という言葉は出てきません。



死にたかった自分を許したからかな。



そう思う自分を責めず、

ただそれを受けとめる。

許してあげる。





何度も書いたと思いますが、

わたしはずっと居場所がありませんでした。



3次元でも無かったし

スピの世界でもありませんでした。



違和感を拭いきれず、

けど

それを無視することは出来なくて

自分の世界を大切にするようにしました。



いまは、自分の世界を少しずつまた思い出しています。



ストイックに自分の内側、外側を削ぎ落としてましたが


いまはやっと

あたらしいものを取り入れてます。


今日は布作家さんのバッグのオーダーをしにいってきました。


出来上がりは三ヶ月後。



きっと、生きることを決めたからだと思います。



そうやって生きる楽しみをひとつひとつつくっているような気がします。



予定を立てることが苦手だったのだけれど


それは無意識のうちに

生きることを拒否してたからだと思います。



生きるために予定を立てよう。


予定のために生きよう。



あたらしい手帳を買おう。


今後の予定を立てよう。


好きなことを仕事にしよう。




わたしはちゃんとまだ生きています。


まだ加速系は続いているみたいです。


セッションの予約をいれたときから始まり

終わったあとも続きます。



あたらしいあなたを見つけていきたいと思います。


待っててね。