あるシャーマンのつぶやき。

体感型&非体験型のシークレットサロン/現在おやすみ中

告白。

イニシエーションが始まって5年弱?

ミエナイ世界のことが

バーっとわたしの中に入ってきて

もうあたりまえになってきたんだけど


実はね、

あんまり(既存の?)スピリチュアルは好きではないの。


よくわからないの。


それは

ずっと、かな。


なんでここまで探求?してきたっていうとね、

自分が置かれた場所についてとか

自分がなにをやってるのかとか

自分はなにが出来るのかとか


それを探る旅だったのでした。



「なんなの?これは?!」

みたいな。



だから詳しいことはなんにも分からないよ。

覚えないといけない系はまったく!!

自分のなかのストックはゼロだよ。





助けたい、とか

救いたい、とかは

正直ありません。



助けてあげないと、

とか

救ってあげないと、


と常に思ってると


わたしが

"助けてあげないといけないひと"

"救ってあげないといけないひと"

そういうひとを創ってしまうことになるの。




だからね、

それは以前からだけど

どんなに辛そうなひとが来ても

同情はしない。



相手をかわいそうなひとにしない。



淡々と

そのままをみたままを自分のなかにスッと入れて

出来ることをする。


与える。




目の前にいるひとに必要なことをするっていうのは

わたしの中では当たり前。


20年弱看護師やってきたのも

それがあるからかな。








ここ最近、

いろんなことを考えていた。


きっと、やろうと思えばなんだってできる。


詳しいことは分からないけれど


サイキックとミディアム、

それはもう素質だから

それを生かそうと思えばなんだって出来るんだよね。


やらないだけで。


必要なひとにはするよ。

そのときがきたら。

全部相手次第。

相手次第で様々。




いろいろ模索してきたけれど

正直、スピリチュアルはよく分からなくて

やっぱり既存のスピリチュアルは

わたしにはいまひとつ理解出来てなくて

意味がわからなくて

好きじゃない。


気持ち悪い。


なんかちがう。




その枠にはめられるのがどうしても苦痛で仕方ない。



でもやってることはそんな感じなんだろーね。



「やってるんだから好きにならないと!」って

そういう決め付けを

気づかないところでやってきたけれど

うん、

どうもいまひとつ

あんまり好きではないんだよね。

これじゃないんだよね。




何回も「(スピリチュアルは)好きじゃないな」って気付いて

逃げようとしてたけど

逃げたら逃げただけ

死にそうになったから


出来ることはしていくと思う。


しなくちゃいけないんだと思う。



なにも考えず施すことは好きだし。


自分がやってることは

別に枠組みもないから楽しいんだよね。






わたしの本当の歓びは

輝いていくところを見ることなんだ。


深く繋がっていくと

どんどん相手が

本来の姿を思い出していき

輝いていかれ、

自分の道を進んでいかれる。


ズンズン進んでいく。


めちゃくちゃはやい。



それ(輝く様)を隣で見ていられるのがとてもシアワセ。



あー、良かったなー♡って

微笑みながら見るのが歓びなんだよね。





わたしが興味を持ったひとは

もう繋がっているんだ。



繋がったひとは興味があるんだ。



繋がるひと、

繋がらないひとも

お相手次第かな。



興味がないなら

「ま、いっか」ってなる。


必要ないなら

「ま、いっか」ってなる。


他に目線を向ける。




きっと、高次元のミエナイ存在も

そんな感覚じゃないかな。


ミエナイ世界を受け容れないひとに

なにか届けたくても

まったく隙間がなかったり

聞く耳持ってなかったり

なんかそういうのがあったりすると

「ま、いっか」

って

もっと

ちがうところに行っちゃうんだと思う。



「神様の髪の毛は前髪しかない」

だったっけ?



ちゃんと見つけてくれるひとは見つけてくれる。


繋がってくれるひとは繋がってくれる。


興味を持ってくれるひとに与えたくなるんだと思う。





ラフに、いこうよ。




ずっとそこに。




在るんだから。




向かい合ってよ。







おもしろいよ。